MIHOLO’s 図書室

本と音楽、たまに猫の雑記

陽気なギャングが地球を回す

危ない

危ない

このまま放置するかと思ったブログ。

いつも気に掛けてはいたんだけど、どの本を書こうかと考えていると

どんどん日が経ってしまった。

大好きな伊坂幸太郎さんの本にしようとまでは決まったけど

今度は好きな本がありすぎて、選ぶのにまた時間がかかった。

そんな中、選んだこの1冊。シリーズ物の1作目。

特殊能力を持つ4人(と言っていいのか)が強盗する話。

えー犯罪者が主人公?と最初は抵抗あったのに、

そう言えば、伊坂作品は「殺し屋」や「死神」が主役だったりするなと

小説なんだから読んでみようと。そして読んで正解!

 

とにかく名言が多い

「自分たちのとるべき行動と起こりうる事態を想像してみる。

 生きていくのに大切なのはイマジネーションだ」

 

「正しいことが人をいつも幸せにするとも限らない」

 

「感じたことを全部わざわざ口に出す必要はないんだよ。

 誰もが心の中で思っているだけならば、世界は平和だ」

 

「人間は後悔をする動物だが、改心はしない。繰り返すんだよ、馬鹿なことを。

『歴史は繰り返す』というのは、それの言いわけだ」

 

「人間の価値はその友を見れば分かる」

 

「時間というのは有限なの」

 

伊坂作品はどの本にも、ちょっと皮肉めいたセリフややりとりが出てきて

そこがたまらなく好き。

このギャングシリーズは空気の読めない?いじられキャラの響野さんと

人間より動物好きの久遠のやりとりが、漫才というかコントみたいで

声出して笑っちゃう。

そして他の作品からも登場人物がちょっと出演したりする。

それをみつけるのも楽しい。

この作品は映画にもなっていて、キャストはバッチリだったけど、、、、

私的にはちょっと残念な部分もあった。

だから脳内ではそのキャストが本の通りに動き回ってくれるのが良いかな。

 

 

BANANA DIARY 2022-2023 甘やかし

手帳だけど手帳だけではない。

ばななさんの言葉が随所に書かれていて、

ずっと読んだり眺めたりできる手帳なのですぞ。

でも、この言葉だけじゃ足りんなと、ちょっと思ったりして

いやいや、それなら本を読めと自分に突っ込んでみたり(笑)

なんなら自分のスケジュールで汚すのが勿体ないと思ってみたり。

手帳にならないではないか!

 

でも手帳って1月、2月あたりは綺麗に書き始めるのに

夏頃には、もう殴り書きのようになり、秋頃次年度の手帳が出始めると

もう来年はどれにしようかなと気持ちが移り始める。

酷い。酷すぎる扱いではないか。

今回はそうならないような気がする。だってばななさんだもん。

 

手帳と言えば、仕事が出来る風を装って、

システム手帳みたいなの持ってた事あったけど

重たいだけで、使いこなせなかったし。

軽さを重視した薄い手帳にしたら、ごちゃごちゃ書きすぎて

もはや、何が重要かわからなくなったりしたし。

そんな時は、必ず「私は予定に振り回されたくないのだ!」

とか言って、手帳を持たずに過ごし、予定がわからなくなることも多々あるし。

 

そんな私だけど、今年ばななさんの手帳の題名が「甘やかし」素敵すぎる。

なんか、ばななさんと予定を過ごしていけそうな気がする。

楽しい

 

 

忘れられる過去

川上弘美さんの解説を読んで素敵だなと思ったので、

この本を読もうと思った。

その前に、川上さんの好きな作品を読もうと「センセイの鞄」を読んでいたら

日にちが経ってしまった。

 

不勉強で荒川洋治さんを存じ上げなかったのだけど、

読み出したら、1つ1つの文章を丁寧に読まなきゃいけない本だなと思った。

丁寧に読まない本とはどんな本なのか、逆にその判断も知りたくなる

しかし、今、それを考え出すと、またどこかの地に意識が行ってしまうので

その気持ちは箱にしまっておく。

 

そう、最近気になってる私の気持ち案件。

自分の内面ではなくて、関係する場面、

職場とか仕事場とか、働く場(全部一緒だよ)とかで

「むむむぅ?!」となる時に、ああ、これは私ではなく、先様の問題だ。

だから、私が感じた気持ちも対処しようがないので、箱にしまっておくと。

箱が随分溜まったので、どうしたもんかなとは思うのだが。

 

あ、またどこかに行ってしまいそうになった。

 

本を読んでいて、この文章好きかもと思い付箋を貼る。

でも後で読み返したら、あれ?あの時この文章のどこに感動したんだっけ?

と、その時と同じ気持ちにはならない時がある。

でも、荒川さんの言うように一度触れていれば、

また再開した時に何かが芽生えるのかもしれない。

 

 

川上さんの素敵な解説

「いったい自分は、ほんとうのところ、何を見ているのだろう、何を感じているのだろう」ということを、じいっとごまかさずに、荒川さんは観察し、観察し、観察するのです。まるでそれは、植物の生育日記を書くような、ていねいさです。そして最後に「ほんとうのところ」がわかると、荒川さんはとっても満足するのです。きっと、それだけで、じゅうぶんに。

 

ていねいに生きることは、じつは、とっても難しいことです。自分の内面をじいっと観察するのは、けっこう手間がかかるのです。

適当にしてしまうことは「つまらないよ」と荒川さんは教えてくれる」

 

荒川さんの言葉

「身動きできない。社会も何も、こちらの思うようにならない。それでも人は自分が支配できるものがあることを望む。その点ことばはいい。知識としてのことばは死体(または記号)だから好きなことができる。きりきざまれようと、もてあそばれようと、ことばには口がないから、抵抗もできないし文句のひとつもいえない。ことばブームは「弱いものいじめ」なのだ。」

 

 

「この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。」

やっぱり丁寧に読んでいこうと、もう一度思わせてくれた本になった。

 

Die Mainacht

12月なのに「5月の夜」

でも、この曲は寒くなって静謐な夜に聴きたくなる。

本当は5月まで待って書いても良かったけど、それまでブログが続いているか

わからないし(笑)

 

詩は Ludwig Heinrich Christoph Hölty,ヘルティ

まずは Johannes Brahms ブラームス

www.youtube.com

 

もう1つは Fanny Mendelssohn-Hensel,ファニー・メンデルスゾーン


www.youtube.com

 

シューベルトも同じ歌詞に作曲してるけど、私はこの2人の方が好きだな~

何者かになりたい

精神科医のシロクマ先生、熊代亨さんの「何者かになりたい」を読んだ。

結局、何者にもなれなかったと思ってる私だけど、

これを読んでみようと思ったんだから、やはり何者かになりたかったのか。

何者か、、、、、、曲者(笑)には違いないけど。

というより、何者ってなんだろうかね。

何者か問題。

 

世間一般で言われる、「何者」はやっぱり職業が多いかもしれないけど

本を読んで、職業だけでなく、その人を構成する要素で「何者」かは

作られていくと書いてあったように思う。

とすれば「会社員」となったとしても

全く同じ要素の人間はいないのと一緒で、全く同じ「会社員」はいないのだから

人と同じ「何者」かではない。

そう思えば、人と比べずに自分の思う「何者」かになっていくのでは?

そもそも、職業や肩書きだけを「何者」と思うなんて単純なものでもないし。

でも悩んでいる時は、そこに気づきにくいんだよね。

 

 

私も音楽を主にしようと思っていた頃、こうでなければならないという「型」に

拘りすぎていて、逆に自分を苦しめていた。

どうして、人と同じように出来ないのだろうと思ってた

(才能という重要なもの忘れてないか?(笑))

同じように出来ないなら、なんなら全部捨てても良いとすら思ってた。

でも、本を読んだ時に、その「要素」だって、長い時間をかけて身につけた物だし

私を構成する要素の一つが「音楽」なだけで、捨てる必要もなく、

かといって、それだけに拘る必要もなかったのだと改めて納得出来た。

 

まあ、年齢を重ねて、良い意味での諦めるゆとり?もできたのかもしれない。

だって何者かになんてならなくたって良いんだから。と今なら思える、でも

 

数年前、朝井リョウさんの「何者」を読んだ時は

あのヒリヒリするような渦中にいた頃を思い出して、

ちょっと複雑な気持ちになった。

イタい自分を思い出すのはある意味勇気がいる。

子供の頃のイタいネタは書けるのになぁ(笑)

 

 

 

 

トットの欠落帖

 

子供の頃「窓際のトットちゃん」は夢中になって読んだ。

私もトモエ学園に通いたかった。

そうすれば、私のおかしさ?も目立たないんじゃないかなと

真剣に思ったものだ。

 

 

 

トットちゃんほどの個性は無くても

子供時代は誰もが、大人が驚くエピソードの1つや2つはあるのではないか?

(いや、あって下さい、お願いします)

 

私は忘れていてというか、記憶はないけど、近年母から私の小学生時代

給食をランドセルに、そのまま入れて帰ってきたという話聞いて、

まさか!と信じられなかった。

パンをわらばん紙(懐かしい)に包んで持ち帰るのは覚えていたけど、

(なんならそのパンを休んだ生徒の家に届けることもあった。)

でも、いや、おかずを?ランドセルに?そのまま?

洗うのが大変だったのよと母は言うが、まったくもって覚えてない。

何故、そんな事したんだろう。

周りの子も引いただろうな、、、と今なら思う。

 

授業参観では、ノートを破って紙飛行機を折ってたり、

母が教室を間違えないようにと、窓際(!)の窓枠というか桟に馬乗りになって

「おかーさーん!ここ!ここ!ここだよー」とやっていたらしく、

恥ずかしくて、行くの止めようかと思ったと言っていた。

 

だからなのか、この「トットの欠落帖」を読んで

徹子さんて面白い!というより、私だけじゃなかったんだと安心した。

 

けれど、仕上がりが何故こんなに違った人間になるのだろうか?(笑)

 

徹子さんと馬とのエピソードが何回か出てくるけど、とても微笑ましい。本人達は災難としか言えないだろうけど(笑)

私も一度で良いから馬と話てみたい。