MIHOLO’s 図書室

本と音楽、たまに猫の雑記

いつまでも白い羽根

私の子供の頃の夢はナースになること。

母も叔母も従姉妹も、周りをナースに囲まれて育ったという環境もあったと思う。

だから中学の進路相談の時に、この成績じゃもっと頑張らないと難しいよと

言われた瞬間、では、私は音楽科に進みますとその方向転換は逆走ばりだ。

でも、この本にも看護学校を卒業できるのは6割と書いてあったから、

私が入学できた所で、卒業は出来なかったのでは?と思う。

やっぱり半端な気持ちでできる職業ではないもんね。

 

逆に主人公瑠美は大学受験失敗と家庭の事情で不本意ながら看護学校へ進学したから

違う意味で気持ちがついていかない。

グループにも入れないし、思ったことを口にしてしまうから周りからも浮く。

わかるなぁ。でも、これって成長過程でもあるような気もする。

年齢重ねると、捌けるようになることも増えてくるし、

良い意味で自分にも周りにも期待しなくなるから、楽になる部分もある。

若いときは、いくら年長者に言われても、納得できないものだけど。

 

同じグループにいた佐伯さんに言われる瑠美への言葉

「常識というのはその場にいる人間で作られるの。だから常識が正しいとは限らない。その場の常識だとか雰囲気に流されないでいられる人は、とても貴重だと思う」

瑠美が、その常識にまっすぐ向かって戦う姿は、

そろそろエネルギーがきれそうな私にはとても素敵だった。

登場人物ひとりひとり、頑張って欲しいと応援したくなる小説。

 

看護師さんのエピソードと言えば12,3年前に入院した病院で、

看護学生が実習に来ていて、私の担当になってくれた。

「先輩看護師さんにコミュニケーション取る練習にお話してきなさい」

と言われました~とやってきた。

そうなんだ。と待っていると、しばらく考えてから

「お洋服はどこで買いますか?」だった。

なかなかの方向から来ましたねと笑いあった。あの彼女は今頃ベテランになったかな。

 

昨年入院した病院は、「ナースコールを押させない」というのがモットーで、

そのくらいのホスピタリティなんだ~と感心&安心してたのも束の間、

実際はめちゃめちゃ怖くて、違う意味でナースコール押せなかった(笑)

そっちの意味?と真剣に悩んじゃったよ。

大変な職業だと改めて感謝したけど、しばらく病院トラウマになった。

 

 

 

 

ネコの住所録

本との思い出は人との思い出も甦る。

群ようこさんの本で最初に読んだのは「ネコの住所録」

ネコ好きの人にはたまらない1冊だと思う。

 

初めて外資系の会社に派遣社員として働きに行った時、

日本人でもミドルネーム?で呼び合っている環境に最初大変戸惑った。

私の席の前には年齢不詳、だけど確かに大先輩であろうモニカさんと

呼ばれていた女性社員の方がいて、私の一挙手一投足ご指摘頂いていた。

今でも覚えているのは、

席を立つときに、飲みかけのカップにはティッシュをかぶせなさいとか、、、

(え?そこまでですか!)

今なら、そうですよね!とか、はい!と答えられるような事も、

その頃は若干めんどくさいなあと心の中で思っていた。

 

その頃も、ランチは独りで過ごしたかったし、本も読みたくて、

席にいることが多かった私に、

モニカさんから、何読んでるの?と聞かれたような覚えがある。

そこで、読み終わった「ネコの住所録」を「面白いので、差し上げます」と渡した。

きっと話を切り上げたい気持ちだったように思う。

 

そして私の派遣期間の終了日がきた時に、モニカさんからお手紙と本を貰った。

その手紙には「ネコの住所録」が思いの外面白かったことと、私に貰わなければ

自分では選ばない本だったから、これからもっと群さんの本を読みたいということ。

本を貰うのがこんなに嬉しいなら自分からも私に本をあげたいなどが書かれていた。

 

びっくりしたというか驚いた(同じだよ)

深い意味なんてなかったのに、そんなに喜んで貰えるとは。

めんどくさい人とか思ってごめんなさいと心の中で謝った(口には出せない)

 

本1冊で、人への印象だって変わるんだなと今更ながら思い出した話。

 

群ようこさんの「パンとスープとネコ日和」シリーズの中に

毎日ちょっとした小言を言う喫茶店のママが出てくる。

悪気がないので、嫌いにはなれないタイプだし、

歳を重ねるとママに共感する部分の方が多くなる。

その主人公アキコが思う言葉

「若い頃はわからないけれど、何十年も経って、それが自分の人生にとって重要な人であったことに気づく。いい意味でも悪い意味でも、世の中には無数の人がいるのに、そのなかで出会う人というのは、何かしら縁がなければ会えないはずなのだ」

を思い出す。

モニカさんが私にとって重要な人物だったと思ってなかったけど(失礼だな)

今こうして、人に本を薦めたり探したりする職業に就いてるのは、

あの時の本を通して気持ちが分かり合えた感じをどこかで忘れなかったのかも。

 

 

 

お探し物は図書室まで

「あのー。新書を借りたいんです~」と、彼女は言った。

当時、大学のレファレンス席にいた私は「なんの新書ですか?」と聞く。

「新しい、に、書くと書いて【新書】って言うんですよ!ありますか?」

と少し得意げに答える彼女。

いやいや、新書は知ってる。一応(笑) その後詳しく聞いてみると

大学の授業で新書を借りるという課題が出て、

どうやら、彼女は、題名が【新書】と言う本があるのだと思ってたらしい。

なるほど!そう来たか!

 

司書にとってレファレンス(利用者の探している資料を調べる)は

一番の醍醐味を感じられる業務だと思う。

なんなら、利用者が、もういいですと断ろうとしても

いやぁ、まだまだ待ってください!と諦めない(それもどうかとは思うけど)

 

この「お探し物は図書室まで」はマツコ・デラックスさん風の司書小町さゆりさんが

来館した迷える人に、探している本と共に直感で、ある本を渡す(付録と一緒に)

主人公は、その本(と付録)から何かを受取り、自分の本当の気持ちに気づき

行動を起こしていく。というハートフルな話。

 

登場人物の悩みは主に仕事に関することが多く、元雑誌編集者の夏美さんが

司書の小町さんに転職の訳を聞いた時に

「その時に一番やりたいことを、流れに合わせて一番やりたい形で考えていったら

そうなった。自分の意思とは別の所で状況は刻刻と移りゆくからね」

定年退職した正雄さんが、いろんな職を転々とした管理人の海老川さんに

「のちのち役に立ったのだから素晴らしい」と言うと

「でも、何かを始めるときにはそれが後から役に立つかどうかなんて、

考えたことないですよ。ただ、心が動いたら、それだけでトライする理由になると思うんです」

 

それと、本の中で紹介している石井ゆかりさんの「月のとびら」の中の1節

ー私たちは大きなことから小さなことまで

「どんなに努力しても、思いどおりにはできないこと」に囲まれて生きていますー

が、とても良かった。

 

自分の意思とは別に状況が変わるかもしれない中で、心が動いて行動を起こすのは

年齢やキャリアなんかは関係ないと言われたみたいだった。

と言うより私も小町さんと一緒で、その時に一番やりたいことやって生きてるから、

そうだ!そうだ!と同意したのかも。

 

周囲を見れば、素晴らしいキャリアを積んでいる人や、

才能あふれる演奏をしている人が沢山いて、羨ましがった日々もあったけど

他人と比べるのではなく、自分の持ち物で幸せを作っていくのも面白いと

感じられるようになって少しは落ち着いたのかも。まだ信用できないけど(笑)

こんな私には小町さんはどんな本を選んでくれるかな~

 

 

バースデーカード

明日は母が私を産んだ日です。

おかあさん、産んでくれてありがとう。

 

女手ひとつで育てるのはとても大変だったでしょう。

そんな大変さを全然わかろうともせず、わがままいっぱいに育ってしまって

ほんとうにごめんね。

でも逆を言えば、大変さを見せなかった母の偉大さを今更ながらかみしめてます。

 

偉大すぎて、正しすぎて、辛かったこともあったし、

ある時、「お母さんが私に期待してなくて助かった」と言ったら

予想に反して「子供に期待しない親がどこにいるの!」と反論されて

「期待」という言葉の難しさを知った。

そういう意味じゃないんだけどな、、、と。うなだれる私。

 

この「バースデーカード」の主人公紀子もまた不器用で

人の輪に入れず、図書室が落ち着くタイプ(わかる、わかる)

母親は亡くなってしまうけど、

紀子が20歳になるまで毎年誕生日にバースデーカードが準備されていた。

年齢に合わせて書いてあっても、素直に読めない年頃がやってきたりする。

それもまた成長なんだろうな。と読んでる側は思うけど、当事者は辛いよね。

母と自分を比べてイライラするのが、まるで自分を見ているようだった。

でも、まっすぐ育って、幸せな未来を迎えるし、最後の最後にサプライズもあるし

悪い人や嫌な感じの人が出てこない、ほんわか、温かい小説で

とても読みやすかった。

誕生日前にこんな穏やかな話もよいものだ。

そんなにささくれだってた訳でもないけど(笑)

 

この話、ドラマ的に映えるだろうなと思ったら、既に映像化されてたんだ。

知らなかった。機会があったら見てみよう。

 

 

 

 

わすれられないおくりもの

瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。

熱心な読者ではなかったけど、何冊か読んだ事があったし、そりゃあ過去には色々あったかもしれないが、憎めないチャーミングな方だなと思ってた。

 

あと半年で100歳だったのか。

ご高齢だとはわかっていながら、

なぜだか寂聴さんが亡くなるなんて信じられなかった。

生きていれば、誰だっていつかは旅立つと理解していても。

 

「わすれられないおくりもの」は

「身近な人を失った悲しみを、どう乗り越えていくのか」をテーマにした絵本。

今は見送る立場だけど、いつかは見送られる立場になるんだよね。

絵本の中では、アナグマさんが痛みや悲しみ、苦しみがなく旅立てたのが良かった。

知らない世界に行くのだから、せめて平穏な気持ちでいて欲しいと思う。

読んでるこちら側としては、まだ行かないで!と思うのだけど、

「身体がなくなっても、心は残る」と

身軽になった魂が、トンネルを通ってあちらの世界に飛んでいけるなら

残してくれた色んな事を思い出して、あまり哀しみすぎないようにできたら

いいな。むずかしいことだけど。

 

私がトンネルの向こうに行く時がきたら、何か思い出残していけるかな。

寂聴さん ご冥福をお祈り申し上げます。

 

永遠の出口

例えば、子どもの頃、今の年齢の自分を想像したことはあったかな。

今の私を見たら、何というのか知りたいような、知りたくないような。

確実に痛いところ突いてくる気がするんだよね。容赦なく。小3の私め~!

 

いつも、小学生からやりなおしたら、

もっと気の利いた子になっていたに違いないと後悔ばかりしてきた。

でも何の本だったか忘れたけど、自分の選択肢なんてたかがしれているから

右か左か、どちらを選んでも、最終的には同じ場所に着いていたりする

という文章を読んだとき、

そうか!それならきっとやっぱり今の場所に立っているだろうと変な納得をした。

 

 

同世代の著者の(ビバユーの洋服やレノマのバッグ!懐かしすぎる)描く、

この「永遠の出口」は小学生から高校生までを駆け足で思い出させてくれる。

心がひりひりする内容なんだけど、

確かに、こんなふうな時代だったって思うんだよね。

小学生時代はちびまるこちゃんと足して割らない感じ。

 

お誕生会を開くという友だちの家に集まったのに、

ご馳走もケーキもなく、挙げ句の果てに、その友だちのお母さんに

「うちでは誕生会はやらないの。だから帰ってね」と追い返される。

そんなこと慮れない子どもは、平気で酷いこという。

 

私の小学生時代、お弁当を持ってこない男子(懐かしい)は冬になると

ストーブの上に置いてある金たらいにボンカレーの元を入れて

温めて、持ってきたご飯にかけていた。それを見た同級生が

「おまえの母ちゃん、弁当作れないんだろう」ってからかったら、

次の週、3段重ねのお重を持ってきて、みんなをびびらせた。

お母さん、悔しかっただろうけど、大成功だったよ。

それからは誰も何も言わなくなった。いや、言えなくなったが正解か。

 

第2章の陰険な女性教師の話でも私はまた過去を思い出す。

私がまだ純粋だった頃、人を嫌ってはいけないと思っていたので、

その家庭科の女性教師の悪口をみんなが言うと、

「可哀想だよ、、いつも一人ぼっちだし」なんて言ってたのに

その教師から理不尽なことで叱責されて、

「なんだよ!肩持ってたのに!!(勝手に)」

とあの日私は人を嫌うことを覚えた(笑)とか。

 

もう一人の私かもしれない主人公紀子の文章を留めておきたい。

「年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれおちたものばかりであふれていることを知った。自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部にすぎないのだ」

「生きれば生きるほど人生は込み入って、子供の頃に描いた「大人」とは似ても似つかない自分が今も手探りをしているし、一寸先も見えない毎日の中ではのんきに〈永遠〉へ思いを馳せている暇もない。

だけど、私は元気だ。まだ先に進めるし、燃料も尽きていない。あいかわらずつまづいてばかりだけれど、そのつまずきを今は恐れずに笑える」

 

私もそう思う。そして出口はどこにあるのか、、、。