永遠の出口
例えば、子どもの頃、今の年齢の自分を想像したことはあったかな。
今の私を見たら、何というのか知りたいような、知りたくないような。
確実に痛いところ突いてくる気がするんだよね。容赦なく。小3の私め~!
いつも、小学生からやりなおしたら、
もっと気の利いた子になっていたに違いないと後悔ばかりしてきた。
でも何の本だったか忘れたけど、自分の選択肢なんてたかがしれているから
右か左か、どちらを選んでも、最終的には同じ場所に着いていたりする
という文章を読んだとき、
そうか!それならきっとやっぱり今の場所に立っているだろうと変な納得をした。
同世代の著者の(ビバユーの洋服やレノマのバッグ!懐かしすぎる)描く、
この「永遠の出口」は小学生から高校生までを駆け足で思い出させてくれる。
心がひりひりする内容なんだけど、
確かに、こんなふうな時代だったって思うんだよね。
小学生時代はちびまるこちゃんと足して割らない感じ。
お誕生会を開くという友だちの家に集まったのに、
ご馳走もケーキもなく、挙げ句の果てに、その友だちのお母さんに
「うちでは誕生会はやらないの。だから帰ってね」と追い返される。
そんなこと慮れない子どもは、平気で酷いこという。
私の小学生時代、お弁当を持ってこない男子(懐かしい)は冬になると
ストーブの上に置いてある金たらいにボンカレーの元を入れて
温めて、持ってきたご飯にかけていた。それを見た同級生が
「おまえの母ちゃん、弁当作れないんだろう」ってからかったら、
次の週、3段重ねのお重を持ってきて、みんなをびびらせた。
お母さん、悔しかっただろうけど、大成功だったよ。
それからは誰も何も言わなくなった。いや、言えなくなったが正解か。
第2章の陰険な女性教師の話でも私はまた過去を思い出す。
私がまだ純粋だった頃、人を嫌ってはいけないと思っていたので、
その家庭科の女性教師の悪口をみんなが言うと、
「可哀想だよ、、いつも一人ぼっちだし」なんて言ってたのに
その教師から理不尽なことで叱責されて、
「なんだよ!肩持ってたのに!!(勝手に)」
とあの日私は人を嫌うことを覚えた(笑)とか。
もう一人の私かもしれない主人公紀子の文章を留めておきたい。
「年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれおちたものばかりであふれていることを知った。自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部にすぎないのだ」
「生きれば生きるほど人生は込み入って、子供の頃に描いた「大人」とは似ても似つかない自分が今も手探りをしているし、一寸先も見えない毎日の中ではのんきに〈永遠〉へ思いを馳せている暇もない。
だけど、私は元気だ。まだ先に進めるし、燃料も尽きていない。あいかわらずつまづいてばかりだけれど、そのつまずきを今は恐れずに笑える」
私もそう思う。そして出口はどこにあるのか、、、。