忘れられる過去
川上弘美さんの解説を読んで素敵だなと思ったので、
この本を読もうと思った。
その前に、川上さんの好きな作品を読もうと「センセイの鞄」を読んでいたら
日にちが経ってしまった。
不勉強で荒川洋治さんを存じ上げなかったのだけど、
読み出したら、1つ1つの文章を丁寧に読まなきゃいけない本だなと思った。
丁寧に読まない本とはどんな本なのか、逆にその判断も知りたくなる
しかし、今、それを考え出すと、またどこかの地に意識が行ってしまうので
その気持ちは箱にしまっておく。
そう、最近気になってる私の気持ち案件。
自分の内面ではなくて、関係する場面、
職場とか仕事場とか、働く場(全部一緒だよ)とかで
「むむむぅ?!」となる時に、ああ、これは私ではなく、先様の問題だ。
だから、私が感じた気持ちも対処しようがないので、箱にしまっておくと。
箱が随分溜まったので、どうしたもんかなとは思うのだが。
あ、またどこかに行ってしまいそうになった。
本を読んでいて、この文章好きかもと思い付箋を貼る。
でも後で読み返したら、あれ?あの時この文章のどこに感動したんだっけ?
と、その時と同じ気持ちにはならない時がある。
でも、荒川さんの言うように一度触れていれば、
また再開した時に何かが芽生えるのかもしれない。
川上さんの素敵な解説
「いったい自分は、ほんとうのところ、何を見ているのだろう、何を感じているのだろう」ということを、じいっとごまかさずに、荒川さんは観察し、観察し、観察するのです。まるでそれは、植物の生育日記を書くような、ていねいさです。そして最後に「ほんとうのところ」がわかると、荒川さんはとっても満足するのです。きっと、それだけで、じゅうぶんに。
ていねいに生きることは、じつは、とっても難しいことです。自分の内面をじいっと観察するのは、けっこう手間がかかるのです。
適当にしてしまうことは「つまらないよ」と荒川さんは教えてくれる」
荒川さんの言葉
「身動きできない。社会も何も、こちらの思うようにならない。それでも人は自分が支配できるものがあることを望む。その点ことばはいい。知識としてのことばは死体(または記号)だから好きなことができる。きりきざまれようと、もてあそばれようと、ことばには口がないから、抵抗もできないし文句のひとつもいえない。ことばブームは「弱いものいじめ」なのだ。」
「この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。」
やっぱり丁寧に読んでいこうと、もう一度思わせてくれた本になった。